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アンステイブルラブガーデン(10)







 萌恵がバイトで忙しいので、水無月を何回もデートに誘った。
 ……といっても、デートと言うのは大仰かもしれない。ぶらぶら遊んでいるといったほうが妥当だろう。


「祐くん、じゃあね! 夜ご飯、待っててよ! 絶対だからね!」
 萌恵が相変わらずバイトに行ってしまった後、水無月を迎えに行った。
 彼女はいつも通り、他人と話すこともなく一人で椅子に座っていた。
 そのつつましさ、淑やかさには憧れるが、楽しむためには無用なものだ。明るく話しかけた。
「水無月さん、ゲーセンでもいかない?」
 島にもゲーセンくらいはあった。はしゃいで遊ぶにはいいところだと思う。
「あ、祐くん。ゲーセンですか? ……懐かしいですね」
「大きなところを、この間ぶらぶらしたときに見つけたんだ」
「でも、大学生にもなって、ゲーセンですか?」
 水無月はちょっとおかしそうにふふっと笑っている。油断した笑顔を見せてくれるくらいの間柄にはなっていた。
「え? いいじゃないかよ。二人で対戦とかしたら楽しいでしょ?」
「そうかもしれませんね……準備できましたけど、行かないんですか?」
 丁寧ながらも、手早く準備を整える彼女は、なんだかやたら可愛かった。
 俺が他愛のないことを話し、水無月が微笑む。落ち着いているけど、確かに楽しい時間を過ごすうちに、ゲーセンについていた。
「……賑やかですね」
「ちょっとうるさいかな?」
「そんなことないです……こういうのもたまにはいいと思います」
「ごめんね。静かなほうが好きだよね?」
「いいえ……実は、こういう場所で思い切りはしゃぐのって、憧れてたんです。静かなところが好きっていうのは、ただの惰性で。ずっと、誰も相手がいなかった言い訳です」
 俺のミスをフォローしてくれる優しさを感じて、やっぱりいい子だなと思った。
「そうか。じゃあとりあえず、協力できる感じのやつやろうぜ」
「懐かしいです……わあ」
 彼女は見回しながら、珍しく無邪気な声をだした。
 水無月は設備にふれるたびに、感動しているようだった。こういう場所で遊んだ経験がないのだろうか? 懐かしいを連呼しているあたり、子供時代以来といったところか。
「わあっ! これって……アツくなっちゃいますね」
 意外なことに、水無月はけっこうのめりこんでいて、楽しそうにきゃあきゃあ言っている。新しい一面が見えた気がした。
「うまいね」
「あなただって……わっ!」
「なんかさあ、水無月さんのはしゃぐところが見れて嬉しいよ」
「だって……久しぶりに楽しくて!」
「よかった。もっとお堅い人だったらどうしようって思ってたんだ。水無月さんって、ちょっと雰囲気が大人だからさ」
「ごめんなさい……今日のわたし、みっともないでしょうか?」
「全然。そのくらいが普通だよ」
 そのうちに、「WIN」の文字が画面に表示された。
「やった!」
 そうわめく水無月は、興奮して頬が紅潮している。目が合って、照れ笑いを向けられた。
「やったね。次は対戦でもしてみる?」
「いいですね!」


 水無月は不器用ながらも少しずつ感情を表に出し始めていた。
 だが、
「秘密です」
 その言葉は……何故か続いていた。


「今日は雨だし、俺の家に来ない?」
「あなたの……お家ですか?」
 水無月はちょっと驚いた風にしている。
「ああ、生意気な妹もいるし、隣には萌恵もいるから、楽しいと思うよ」
「ああ、妹さん……え、萌恵さんって隣に住んでるんですか」
「そうだよ。でもあいつはバイトだった。最近なんか講義と家でしか顔を合わせないよ」
「かわいそうです。……じゃあわたしが萌恵さんの代わりに、お邪魔させてもらいますね」
 傘を並べて、自宅に向かう。
 インターホンで彩を呼ぶと、キャミソールにパーカーを羽織ったラフな姿で、飛び出すように出てきた。なぜかスプーンを咥えていた。
「お帰り……あれ、その人」
「ただいま。彼女はこの間の水無月桐華さんだよ、覚えてない?」
「なんで連れてきたの?」
「天気悪いからね」
 彩は彼女をじっと見て黙っていたかと思うと、
「祐の彼女……なの?」
 なんだか不満そうに言う。水無月がちょっと赤くなっている。
「そうかもな」
 そう言えば、恋人になるにはいつかは気持ちを伝えないといけないことを忘れていた。でもそう気づいたところで勇気は出ないし、付き合うと宣言してしまうと、一気に関係が重たくなって、身動きが取れなくなる気がする……そんな気持ちも心の片隅にあった。
「まあとにかく入るよ。散らかしてない?」 
「ないよ。こどもじゃないもん」
 居間に行ってみると、テーブルの上にアイスのカップが転がっていた。
「おいおい、一人でこっそり食ってたのか? 俺の分は?」
「おこづかい増やしてくれたら買ってあげる」
 つっぱねようと思っていたら、水無月がそっと言ってきた。
「彩ちゃん……お邪魔してますし、おこづかいあげましょうか」
 彩がキラッと目を輝かせる。
「ほんと! お姉さん?」
「すこしだけですよ」
 水無月は本気みたいなので止めておいた。
「やめとけよ……こいつ、水無月さんが家に来る度にせびるようになるよ。……あと、あげたところで、どうせ俺にもアイス買ってくれないしな」
「だってもらっちゃえば、もうわたしのお金だし」
 彩はそんなことを偉そうに言った。
「とりあえずそのカップ片づけとけよ」
「ううー……めんどくさー」
 言いつつ、ちゃんとゴミ箱に持って行った。
 彩は最近、ようやく機嫌が戻ってきて、俺は一安心していた。だが結局どうして機嫌が悪かったのかはわからずじまいだ。またいつ不機嫌になるかわからない。
「ゆうー、わたしの部屋にもテレビ欲しい」
 水無月を椅子に座らせていると、ソファに寝転がった彩がぼやいた。
「そんなお金ないって言ってるだろ」
「もしかして、生活に苦労してるんですか?」
 水無月が心配そうに訊いてくる。
「してるよ!」
 彩はらんらんと期待した目で水無月を見ている。
「あいつは嘘つきだから信じるなよ」
「……すみません」
「ねぇ、水無月さんって、もしかしてお金持ちなの?」
 彩は一転して興味津々といった感じだ。
「見た目が良家のお嬢様だもん」
「そう……ですか?」
 困った顔の水無月。
「お前な、そんなに金が欲しいか」
「そういうわけじゃないよ」
「じゃあなんだよ」
「うるさいなー」
 彩がむっと頬を膨らませる。すると、水無月さんがふふと笑った。
「仲いいですよね」
「彩さえ機嫌よければね」
「それに……この家、生活感があっていいですね」
 水無月は部屋干ししてある俺や彩の衣服を見ながら言った。
「ごめんな、こんなもん見せちゃって。そこまで思い至らなくて」
「そんなことないです。なんだか新鮮で」
 新鮮? 水無月さんは独り暮らしはしてないんだろうなと思った。
「今度、水無月さんの家にも行ってみたいな」
「それは……ちょっと」
「ねえ、お姉さんの家、どこら辺にあるの?」
「……秘密ですってば」
 表情にちょっと暗い影がさすのを、俺は見逃さなかった。



 たくさんの時間を水無月と過ごしたが、結局教えてくれないことはいつまでも教えてくれなかった。秘密は主に、過去のことや家庭のことだ。余程シャイなのか、何か事情があるんだろうが、釈然としない。
 そのせいか、心の距離はある程度のところで縮まらなくなっていた。
 そのうちに桜はとうに散りきって、四月も中頃になっていた。



「くっそー……俺ってそんなに信用できないかな」
 俺はその日、講義中にもそのことを考えていた。
「どうしたの?」
 隣に座る萌恵はノートをとりながら訊いてくれた。
「水無月ってたまに、何考えてるかわかんないんだよね、「秘密」って」
 萌恵はペンを動かす手を止めて、俺の顔を覗き込んだ。
「やっぱりさ、そんな本音がわからない子と人と付き合っちゃダメなんじゃないかな? もしかしたらとんでもない秘密なのかもしれないよ」
「それもそうだよなあ……あいつ、まだどこに住んでるかも教えてくれないんだ」
「それって変だよ。絶対ヘン」
 やたら決めつけてくる。
「デリケートなだけだと思うんだけど……」
 確かに萌恵の言う通り、何かわけがあるんだろうなとは思う。どうして教えてくれないんだ。あんなに仲良くなったのに。
「それより祐くん授業聞かなくていいの?」
「ちっ」
 現実に引き戻された。
 大学生は気ままに遊べる。そう聞かされていたから、完全にそう思い込んでいた。
 だが数週過ごしてみて分かった。実際は、毎日宿題は出るし、一年生は勉強することも多く、暇な時間は少なかった。
「もう受験で十分勉強したんだけどなぁ」
「せめてノートとりなよ」
「萌恵が後で見せてくれると信じてる」
「もう……ちゃんと勉強しなきゃだめだからね? 頭いいのに、勿体ないよ」
 萌恵はちょっと呆れた様子で息をついているが、結局優しくしてくれることはこれまでの付き合いでわかっている。
「萌恵はバイトに缶詰なのに偉いね」
「あともう少しで二週間たつから、辛抱だよ……」
 あれから、平日は毎日働かされているそうだ。断ればいいのに、変にまじめすぎる。
「そのうち遊びに来てよね? なんだかんだ言ってまだ一回も来てくれてないじゃん」
「今日も水無月と出かけるから行けないや。ごめん」
「……っ」
 萌恵のシャーペンの先がプツンと飛んでいった。
「もうノート見せてやんないんだから!」
 だいぶ強い口調だった。確かに訪ねる約束を何回も破ったのは事実なので申し訳なくなった。
「ごめん」
「知らないっ」
 ぷいと拗ねられてしまった。彩に続いて、萌恵までこうだと辛い。気が向いた時にバイト先を見に行ってやらないと。



 本日最後の講義が終わってすぐ、水無月がいるはずの教室に向かった。
「祐くん、じゃあね。行ってくるね」
「じゃあ。頑張って」
 萌恵はちょっと寂しげな顔で離れていった。心がチクリと痛んだが、家に帰れば会えると思い、踵を返した。
 見に行くといつものように、水無月は一人で座っていた。近づくと、俺に気づいたようで、優しげに微笑んで会釈した。
「祐くん……今日はどこに行きますか?」
 それを見て、気分がパッと明るくなった。
「どうしたい?」
「祐くんの好きなところでいいですよ?」
「今日はそれは無し」
「そう……なんですか?」
「水無月さんの考えも聞かせて欲しいんだよ」
 水無月はしばらく考えるようにぼんやりしていた。
「それなら……初めて会った日に行ったお店、行きませんか」
 すぐにあのピアノの演奏――「愛の夢」が脳裏に蘇った。
「あの店本当は夜が営業時間だから、開いてないかもしれないけど……まあいいか、水無月さんが行きたいなら行こう」
 今日は彼女ともっと近づきたい。彼女の好みの場所のほうが、緊張はほぐれるだろう。



 地下に潜っていくと、ばったりマスターのお爺さんに出くわした。
「また君たちか」
「入っていいですよね?」
「ふむ……好きにしなさい」
「ありがとうございます」
 水無月が丁寧に頭を下げる。彼女はいつもこんな調子だ。
「というのも、君の演奏がもう一度聞きたくてね」
「そんな……大したことはないです」
 そんな流れで、彼女は遠慮しながらも、結局はピアノの前に座ることになった。
 暖かい昼下がり、粋な装飾の店の中で、一呼吸置いて鍵盤の上に指を走らせ始めた。
 しっとりと、静かな旋律がそっと始まった。
 綺麗で、鮮明な曲。
 それなのに哀しく切ない雰囲気が、あっという間にその場を呑んだ。
「「亡き王女のためのパヴァーヌ」……」
 マスターは例によって眉をよせて唸っている。
 深く深く、引き込まれていくような。
 心が落ち着いて、感傷的になってしまう。
 いつのまにか物思いに耽っていると、演奏はあっという間に終わってしまった。
「凄いよ……水無月さん」
 二人で喝采し、褒め称えると、水無月は困り顔をした。
「大したことないんです」
「いやいや凄いよ。どうしてそんな綺麗な音が出るの?」
「わたしは自分の中のイメージを表現しているだけで……」
「じゃあ、心の中が綺麗なんだね」
「そんなこと……ないです。わたし……こういう雰囲気の曲しか弾けなくて」
 つまり、切ない感じの曲ということだろうか。
「でもこんなにうまく弾けるんだから、才能があるんだよ」
「練習すれば、誰でもできます」
「俺でも?」
「時間はかかりますけどね」
 二人で話していると、マスターに肩を叩かれた。
「ふたりでごゆっくりどうぞ」
 そう言い残して店の裏に消えた。気を使ってくれたらしい。
 今こそ、彼女をもっと知る時だと思った。褒められて緩んでいる彼女の殻を、一息に剥がしてしまうのだ。
「練習すれば誰でもできるって言っても、練習するのが辛いでしょ。高校生の時とか、メチャクチャ練習したの?」
「……ずっと弾いてましたけど、言い換えればそれしかしてないんです」
「すごいなあ。俺なんか高校時代はずっと遊んでたよ」
「そうなんですか?」
「それにしても、水無月さんの高校時代の制服姿とか、見てみたいなあ……なんだか水無月さん大人っぽいから、子供時代を全然想像できないんだよね」
「制服……」
 水無月はぼんやりとしている。
「まあ嫌ならまた今度でいいけどさ。そうだ、ピアノって、何部でやるの? 俺はテニス部でテニスしないで遊んでたんだけど」
「……それは」
 水無月の顔から、少しずつ微笑みが消えていく。
 いつもそうだった。彼女は過去のことや個人的なことを訊くと、すぐに黙ってしまう。
「あの……これも訊いちゃいけないのかな」
「……」
「どうして水無月さんはちょっと踏み込んだことを訊くと黙っちゃうの? 水無月さんのこと、知りたいだけなんだ。理由があるなら教えてくれよ」
「……それは、その」
 水無月の目が泳ぐ。
「どうしても、秘密なの?」
「す……すみません」
 そのまま俯いてしまう。
 彼女に謝られると、どうも責める気がなくなる。だが――今日はちょっと無理してみようと思った。いつか越えなくてはならない壁だと思う。
「なにか……俺に大きなことでも隠してるのかな」
「ち、違います!」
 彼女はぎゅっと膝のうえで拳を握りしめている。
「本当に?」
「わたし……教えたくないです」
 その声は震えていた。
「何か理由があるの? 俺、ほんとはこんなこと言いたくないんだけど……それってずるくない? 俺、何回も一緒に出かけたけど、水無月さんのことあんまり知らないよ……仲良くなった気がしない」
「……そんな」
 水無月は少しショックを受けた感じだった。言いすぎたことに気付いた。
「ごめんね、言い方が悪かったかな。忘れて」
「……」
 静けさが場を支配する。
 やっぱり何も考えずに仲良くしていたほうがましみたいだ。
 余計なことを詮索するのはよそう。
 そう思って、何か面白い話題はないかと考え始めた時だった。
 水無月が細い声を絞り出した。
「秘密なのは……怖かったからです」
「へ?」
 水無月の声は、小刻みにふるえている。
「あなたが離れて行くのが……怖かったから」
「どういうこと?」
「わたし……これまで、いろいろあって……変な人だと思われるのが怖くて……」
「……」
 水無月にいつもつきまとう、何か暗いものが、今にも吹き出しそうなのがわかった。
(聞かない方がいい)
 一瞬でそうわかった。そう思わせる切実さがあった。
「これからも絶対にわたしを見捨てないで、仲良くしてくれると言うのなら……秘密にするのはやめます」
 悲しげな目つきで言った。
「今なら、あなたになら、打ち明けられる……約束して、くれますか?」
 聞きたくない、でも聞いてあげたい。どうしようか、と迷いが生じた。
 聞いたら水無月を理解できても、受け止められるかはわからない。まだその時ではない気がした。もう少し仲良くなってから、話を聞こう。
「やっぱりやめておくよ」
 言うと、水無月は淋しそうな顔をした。
 時計の針の音がやけに大きく響いている。水無月は、絞り出すように言った。
「聞いて……くれないんですか?」
 また暗くなってゆく表情を見て、罪悪感が湧いた。
「ごめん……もっと覚悟が決まってからにするよ」
「……やっぱり、わたしのこと、変だと思いましたか?」
「そんなことないよ」
「嘘……ついてないですか」
「そんなことないって」
 それっきり、会話が途絶えた。雰囲気が暗くわだかまっていて、何も話すことが思いつかない。
 早くマスターが帰ってこないか、そんなことばかり頭に浮かんだ。
 その時、ぽた、ぽたと雫が落ちる音がした。
「やっぱり、わたしの話なんかどうでもいい……ですよね」
 彼女の大きな目から涙が流れ落ちていた。
「そういうわけじゃ」
「わたしだって……このことは誰にも言わない方が……いいと思うんです。きっと……迷惑がかかります。でも……初めて、打ち明けられるかと思って、嬉しかったのに……」
 涙がそっと頬を伝う。
「うう……ひくっ」
 涙にぬれそぼって、まつ毛がキラキラしている。いつも淑やかにしている彼女が感情をあらわにして、涙をこらえようと必死に震えていた。
 どうしようもない美しさがあった。いつのまにか見惚れていた。
 そうしてしまうくらい、頭が真っ白で、後悔に埋め尽くされていた。選択を間違えたようだった。もっともっと慎重になるべきだった。
「なんか……ごめん」
 それしか言えなかった。誤っているとしても、俺の選択には根拠があった。彼女の話そうとしていることは、あまりにも重く、暗い気がした。ここで聞いても、うまくいかない気がした。
「すみません……今日はもう、帰ります」
 彼女は荷物を持って店を出ていった。引き留める言葉が思いつかなかった。
(つづく)
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