18, 2017
アンステイブルラブガーデン(6)
祐……今頃、何してるかな。萌恵ちゃんと会えたかな。
さっきのハグはちょっとドキドキした。顔を埋めると久しぶりに甘えたくなったけど、みっともないし恥ずかしいからそんなこと出来ない。子供の頃、一緒に遊んだ時のことを思い出した。
もう少し……あのままでいたかった。
小さく溜め息をついた。
そんなことより。
わたしは新しい中学校に向かって歩いていた。周りは同じ制服の女の子や男の子で一杯だ。
寂しいな、と思った。
みんな小学校からの同級生と話しながら歩いていた。でもわたしには知り合いなんか一人もいない。不安で胸がきゅうってなった。
その癖に、わたしの風貌は周りの視線を集めていた。慣れてるけど、なんにも感じない訳じゃない。自分のカラダは好きだけど、こういう時はちょっと複雑な気分。
黙って歩いているうちに、中学校が見えてきた。
島の小学校よりずっと大きかった。横に祐の大学も少し離れて並んでいて、なんかお城みたい。迷子になりそう。
道の途中で男の子と女の子が二手に別れた。男女で校舎が違うらしい。うるさい男子の相手をしなくてもいいのはちょっと嬉しいけど、つまんない気もする。
そんな風に考えている時もずっと一人だったから、退屈だった。ぼんやりあくびしながらつまんない入学式を終えて、教室に入った。机や椅子が新品で綺麗だった。
わたしは真ん中の席だった。
それにしても教室に女の子しかいないのは変な感じだった。空気がぽわぽわしてる感じ。
はあ、一人で考えててもつまんないなぁ……。
机にうつ伏せになった。 はやく誰か、話しかけてくれないかなぁ。
「ねぇ、あの人誰?」
「髪、すごく綺麗だよね」
ここでそれが来た。いつものパターン。起き上がって、会話の聞こえる方を向いた。
元気そうな子と、静かそうな眼鏡の子。
「あ、目もブルー……あなた、ハーフなの?」
ポニーテールの子が話しかけてきた。
「うーん。そんな感じ。でもずっと日本にいたよ」
わたしが喋るのを、二人はまじまじと見ている。
「へぇ……まーちゃん、この人すごい! お人形みたい」
もう一人の眼鏡の子がおっとり感動したみたいに呟いた。ポニーテールの子はらんらんと目を輝かせてる。
「うんうん。ミドルネームとかあるの?」
「それはないかも」
「そっか、あはは。じゃあなんて名前? わたしは|入月真子《いりづきまこ》。眼鏡かけてるのはあかり」
「彩です。はじめまして。真子ちゃんは、まーちゃんって呼んでいいの?」
「呼び捨てでもなんでもいいよ」
そう言ってにっこりした。明るくて可愛い子だと思った。仲良くなれそうだった。わたしをじろじろ見てるあかりって子もゆっくりしていていい感じ。
「でも本当に髪の毛綺麗……! 明るい色で、きらきらしてる」
「そんなに言うなら、あかり、染めちゃえば?」
「染めてもこんな綺麗になんないよ。先生に捕まるし」
「いいじゃん、イメチェンだよ。地味キャラやめて不良になっちゃえ」
「やだよ、考えるだけで恥ずかしい」
二人は楽しげに笑ってる。わたしも仲間に入りたい。
「ねえまーちゃん――」
話しかけたところに、声が被さった。
「まこ、おっはよー」
背が高くて胸も大きい子が、まーちゃんに後ろから抱きついた。
「おー沙織、おはよっ。今朝はあの後、しゅん君と話出来たの?」
沙織ちゃんは、髪の毛がくるくるしてる。軽い天然パーマ?
「それなんだけどさぁ」
「なになに? 進展しちゃった?」
「今日の放課後、春小のみんなでカラオケ行かないかって。入学パーティー」
「なんだ。知ってるよ」
「さすがまーちゃん。情報通」
「そんなことないって。あ、そうだ」
まーちゃんがくるっと振り返って、わたしに笑顔を見せた。きょとんとした。
「この外部生の子、連れてっていいかな」
「誰? 外国人なの?」
「今友達になったあやちゃん。ハーフっぽい。綺麗でしょ?」
「ほんとう! さっきからブロンドの子がいて気になってたの。こんにちはあやちゃん。一緒にカラオケ行こっ」
急展開に頭がごちゃっとした。よくわかんないけど、誘われてるみたい。
「えっと――」
「日本語喋ってる! よろしくね、わたし沙織。今日は面白いゲストが出来たーやったーっ」
「なになに沙織、ゲスト?」
だんだんと、興味津々な視線が集まってきた。人がわたしの周りに集まってくる。
こんなにたくさん集まってくるのは初めてだった。人が多すぎなのも、案外嫌じゃないかも。
》》》
入学式は書類を渡されたくらいですぐ終わり、サークル勧誘も適当にいなして、俺は水無月と街中を歩いていた。
通りは、入学式が終わった大学生で賑わっていて、楽しげな雰囲気に満ちている。
「それでさ、水無月さんはお昼ご飯どこに行きたい? 俺はなんでもいいよ」
水無月は小さな荷物を両手で前に持ち、俺の隣で粛々としていた。前髪で隠され、瞳に何を映しているかもわからない。
「ええと……蒼崎さんの、行きたいところでいいです」
「遠慮しなくていいって。春木に来たばかりで、まだ全然金使ってないんだ」
「はい……」
水無月は相変わらず反応が薄い。
「じゃあ二人で適当に探そうか。街探検みたいな」
「は、はい……」
困った……彼女の姿が見えてこない。もっと彼女を知りたい。
「水無月さんって、何かマイブームってある?」
「マイブーム……ですか?」
あえて曖昧な聞き方をした。ゆっくりと俺を窺う水無月。
「趣味なら……少し」
「おお! 俺はこれと言って趣味はないんだけど。すごいね」
「そんなことない、です」
水無月がなんだか恥ずかしそうに首をふる。
「ピアノ……弾けます」
「マジ? すごいね! 俺なんか音符読めないよ」
「でも、大したことは……」
言葉とは裏腹に少し口許を緩めている。
「いいや、大したもんだよ……指とか物凄い速さで動くんでしょ?」
「それは……それなりに」
「今度聞かせてよ」
「でも……」
「いいからいいから! 俺、クラシックとか全然詳しくないから、生演奏聞けるだけで感動だよ」
「は、はい……なら、わかりました。頑張ります」
面白いことを聞けた。このまま上手く事を運ばなければ、そう思い頭を働かせる。水無月は、どう考えてもインドア派、服装からして窓際のお嬢様タイプだ。適当なファーストフードを食わせて機嫌がよくなるはずがない。
「よし、こっちいこう」
「はい」
大通りから外れた。
少しずつ、周りの人が少なくなり、活気が無くなる。代わりになんだか品のある建物が並ぶようになる。
「水無月さんは、もしかして静かなところが好き?」
「……そうかもしれません」
「俺は賑やかなほうがいいんだけどね。ここらへんの建物、俺の島と変わんなくてワクワクしないんだよ」
「そうなんですか? いい故郷だと思います」
「そうかな……? 俺にとっては、慣れすぎててちょっと退屈なんだけど」
「隣の芝は、青い……と言いますし」
水無月の声を聞きながら、ふと気が付いた。
「っていうことは、水無月さんはやっぱり都心に住んでるの?」
水無月が体を硬くした。
「……秘密です」
「あー、ごめん。聞いちゃいけないのかな」
ちっとも素性がわからない。想像が掻き立てられる。そういえば、彼女は地下鉄に乗ったことがないと言った。それなら都会でもないようだ。じゃあ……一体?
頭をひねるうちに、目に留まるものがあって、考えるのをやめた。
「あっ、あの店どうかな」
それは、マンションの下に続く階段。イタリア語の看板が喫茶店であることを示している。こういうお洒落というか隠れ家的なのが、水無月は好きそうだし、
「いいですね」
実際認めてくれた。
降りていくと、店は空いていた。白髪で、髭も白いお爺さんが、グラスを磨いている。老いてはいても目許はキリリとしていてカッコいい。
「おや、昼間からお客……」
目を細めて、俺たちを幽霊でも見るように凝視している。低い声でゆっくり呼び掛けた。
「お二方、ここは居酒屋だよ。まだ準備中なんだ……それ以前にそんなに若い人が来るところじゃない」
居酒屋? 失敗した。所詮俺は田舎者。勝手はまだわからない。
出ようと思ったが、そうはならなかった。
「ごめんなさい……少しの間、お邪魔させてくれませんか……」
水無月がか弱い声で言いつつ、静かに頭を下げる。さらさらと髪が流れる。
「お嬢さん……?」
お爺さん――バーのマスターは眉をひそめて彼女を見ていた。困っている表情だった。
「わかったわかった、いいよ……飲み物だけなら出せるよ」
「水無月さん……いいの?」
「座りましょう」
俺は彼女の行動にどぎまぎしながらも、カウンターに座った。
二人でとつとつと言葉を交わしながら、ジュースを飲んだ。静かな洋楽が流れ、ゆっくりと時間が過ぎて行く……どこか安らぐものがあった。こういうのも悪くない気がした。
水無月も段々とリラックス出来ている感じだった。だから泣く泣く空腹はこらえ飲み物を胃に注ぎ込む。
「俺、思ったよりこういう雰囲気のお店好きかもしれない」
「私は……好きです」
ぼんやりと店内を見渡す。
よく見ると、暗がりに黒光りする、大きな机のような物がある。埃は乗っていなく、頻繁に使われているようだ。きっと夜には演奏の中、おっさんが酒を飲んで一夜を過ごすのだろう。
「ピアノあるじゃん」
「えっ……待ってください」
水無月が困った顔をするのを無視して、マスターを呼ぶ。
相変わらずグラスを拭いていたお爺さんは、人の良さそうな笑顔を浮かべる。
「何かご用件で?」
「あのピアノって、使っていいですかね」
マスターは目を細めて笑う。
「弾くのはお嬢さんかな? 折角の機会だから、僕も聞かせてもらおうかな」
「……今ですか」
水無月は小さく言う。
「たのむよ」
お願いすると、水無月は無言で席を下りた。もう彼女の演奏が聞けるとは!
静かに歩いていって、グランドピアノの椅子に腰かけた。
マスターがスイッチを操作し、パッとライトが当たる。薄暗い店内で、彼女は輝いた。
瞠目した。
慣れた様子で椅子の高さを調え、鍵盤の覆いを持ち上げる――その様子は、整然と落ち着いていて、優雅だった。
はっきりしなかった、彼女の姿が見えた気がした。水無月が存在している場所が、やっとわかった。
「……いいピアノです」
呟いて、白黒の鍵盤に指を乗せ、表面を撫でる。いとおしむように。
空気が、ぴんと張り詰めた。
俺もマスターも、息を止め、唾を飲んでいた。
「――」
曲が始まった。
驚愕に、鳥肌が立った。マスターが息を呑んだ。
優しいような、もの悲しいような。
胸が締め付けられるような旋律。
繊細な音と、途切れることのない滑らかな音色が、彼女の世界を表現していた。
紡ぎ出されるそれは、現実離れしていて。
突出したそれは、切り離されていて。
鮮烈に、脳裏に焼き付けられた。
軽く体を揺らしながら、細長い指を這わせる彼女は、あまりにも美しくて。
俺は、心の底まですっかり惚れ込んでいた。
「愛の夢……」
水無月を魂の抜けたように見つめながら、マスターが呟く。額に皺を寄せながら。囁くような声で。それがこの曲のタイトルなのだろう。
「あのお嬢さんとは、一体……どんな風に、過ごしてきたのかね」
質問の意図がわからず、困惑しながら答えた。
「俺、彼女と今日出会ったばかりなんで」
「そうか……」
マスターの目は、何故か悲しみを湛えていて。
「……なんて、切ない」
聞き惚れながら、憐れむように見えた。
俺にとって、その様子は違和感があるものだった。俺は単純に美しい旋律に感動していた。
これはきっと、老人の戯言? でも、そんな態度もわかる気がした。彼女の演奏からは、何か迫ってくるものがあった。
「君は……彼女が好きなのかな」
「わかっちゃいますか」
「彼女は……苦労しそうだぞ」
「苦労?」
「まあいい、君は若い……」
マスターは目を閉じて、そのまま口も閉じた。
俺はその不可解な言動など無視して、演奏に聞き入りながら、時間の流れを忘れていた。
(つづく)
「涼音編」を最初から読む
おすすめ作品紹介
18, 2017
アンステイブルラブガーデン(7)
「彩ちゃん、もたもたしてないで行くよっ電車来ちゃうからっ」
「うん……待って」
慌てて荷物をまとめて、まーちゃんについていく。
まーちゃんは沢山の女の子に囲まれてた。きっとみんなの人気者なんだ。
「まーちゃん、今日はなに歌うの?」
「やだなぁ、わたしオンチなのわかってるでしょ」
「ダメだよー、歌わなきゃ。みんな楽しみにしてるんだから。逆に目玉だよね」
「ほんとにやだなぁ」
そんなこといいながら、まーちゃんは笑ってる。
話を聞いていると、私以外はみんな小学校からの友達みたいだった。内部生? っていうらしい。
「あかりちゃん、内部生ってなに」
喋らないでにこにこみんなの話を聞いているあかりちゃん。仲良くなれそう。
「うん? 小学校からエスカレーターしたんだよ」
「うん? ……ああ、そっか。自動的に入学したんだ」
わたしだって、どういうことかくらいわかった。まーちゃんたち、入学するために勉強してないんだ……ちょっと、ずるいなぁ。
地下鉄に乗ってカラオケボックスへ。エントランスは女の子でいっぱい。
初めて来る場所だった。奥を見ると暗くて、なんかゾクゾクする。わからないことだらけで、逆に楽しいかも。
「男子はまだ来てないんだ」
恋愛好きな感じの沙織ちゃん。
「わたしたちが早く来すぎたの。暇潰しにちょっとクレープ屋さんに……」
「ダメだよ逃げちゃ」
「そんなぁ」
まーちゃんは眉の端を下げて困った顔をしている。可愛いなと思って見ていると、目があった。
「あっそうだ。彩ちゃんはもしかして初めて?」
「うん。でも楽しみだよ」
「そうこなくっちゃ」
優しい笑顔を浮かべるまーちゃん。
「わたしが色々教えてあげるから、今日はいっぱいはしゃいでね。あと他のみんなも話しかければ優しくしてくれるから。もっと喋っていいんだよ?」
「えへへ。ありがと」
お互いのことはまだ全然知らないけど、まーちゃんとはなんだかもうすっかり仲良くなった気分。これから一緒に沢山遊びたいと思った。
すると、興奮気味の沙織ちゃんが、話に割って入ってくる。
「そうだよ彩ちゃん。小学校の頃の面白いこととかも、教えてあげよっか?」
「うん。しゅん君のこととか?」
「あれ、何で知ってるの!? 何で?」
「さっき話してたじゃん」
「やだなぁ、もう……そういう話は中に入ってからにしよ?」
「そうだね。じゃあ行こうか」
まーちゃんは先頭に立った。わたしも横に並んだ。後ろは沙織ちゃんとあかりちゃん。あとはわかんない。
お金を払った後、女の子が十人くらいで、ボックスに押し掛けた。ぎゅうぎゅうかと思ったけど、一番大きいところを借りたみたいで、全然大きさは足りてた。
まーちゃんは、皆がさっそく歌って騒いでる間も、何でも教えてくれた。リモコンだとか、食べ物の注文の仕方とか。
そのうち、沙織ちゃんが話しかけてくる。
「まーちゃん、男子来る前に歌っちゃえば?」
「嘘、それでノルマ達成?」
「勿論みんなの前でもう一回歌ってもらうけど」
「やだよぉ」
「いいじゃん、面白いから! じゃあ彩ちゃんも一緒ならいい? 彩ちゃんも、初めてだから、練習必要でしょ?」
沙織ちゃんがまーちゃんからわたしに飛びうつってくる。お花のいい匂いがした。
「えっと……そうかも」
「よし、じゃあ二人とも前行って」
マイクを持たされ背中を押されて、壇上へ。みんなが気づいて、わたしたちを見る。顔に血が昇ってくる感じがした。わたし、緊張してる?
「わぁ、まーちゃんもう歌っちゃうの?」
「彩ちゃんも?」
沙織ちゃんが流行りの曲をかけて、前奏が始まる。
音楽の授業でしか歌ったことなんかないのに! 心臓がばくばくしだす。手が震えた。息をすって――。
「失礼しまーっす……あれっ」
バタっと音がして、ドアから男の子たちが入ってくる。わたしたちが歌い出すのと同時だった。
まーちゃんが変な音程で歌い出した。わたしも緊張して時々音を外したけど、それがわからないくらい変だった。
みんなは微笑ましそうに見ていた。嫌な笑い方じゃなかった。それはたぶん、まーちゃんの歌い方が可愛いから。いい感じに新しいメロディを作ってる感じで、なんだか面白い。
まーちゃんに気をとられてる間に曲は終わった。見ると顔を真っ赤にしていた。みんなが温かく拍手する中、まーちゃんだけ本当に恥ずかしそうな顔をしていた。
「まーちゃん、座ろ」
「あ、うん。ごめんね。はー、暑い暑い」
椅子に戻ると、茹でたみたいな顔を、手で扇いだ。
「入月、今日も最高だったよ」
男の子が隣に座って話しかけてくる。サッカーやってそうな顔の人。
「ひどいよ、しゅん君」
まーちゃんが弱く応える。しゅん君ってこの人か。
「あー、しゅん君!」
「ん、沙織じゃん。なんだよ」
「一緒に歌おうよ!」
「は?」
しゅん君は連れていかれた。
まーちゃんは相変わらずぼーっとしながら顔を扇いでる。
「二人とも仲良さそうだね」
「あぁ……そうなの。たぶんすぐに付き合いだすよ。沙織ちゃん可愛いから」
「みんな、男の子と付き合ったりするの? わたしの島だと男子と女子、仲悪かった」
「うーん、どうかな。そうでもないけど、でも今日来てる人はそういうの好きな人多いよ。ここに来るのは、遊ぶの好きな人だけだから」
「まーちゃんも?」
「わたしは――」
いいかけたところで、まーちゃんの肩を叩いた人がいた。顔の整った男の子。
「おい、真子……大丈夫?」
「へ? りょうた君……来てくれたんだ」
二人とも、嬉しそうな顔をしている。
「気にするなよ。今度二人で練習しよう」
「ありがと」
すごい仲良さそう。もしかして、ふたりはカップル?
なんだか急に、取り残された感じがした。みんな、男の子と付き合ってるの?
別に、ここにいる男の子の中でかっこいい人いないなぁ……祐みたいに頼りがいがある人、いないよね……。
「ちょっと外出ようよ。落ち着こう」
りょうた君が立ち上がる。
「うん……彩ちゃん、一人でも大丈夫?」
「平気」
「じゃあ、後でね」
二人は出ていった。見送っていると、男の子が近づいてきた。
「君、さっき歌ってたよね」
そう言って、ジュースを渡してくる。もしかして、狙われてる? わたしは見た目が目立つから、たぶん男の子にもモテると思う。
「うん」
「けっこう上手かったじゃん。帰国子女なの?」
「違う」
毎回説明するのが面倒くさいことに、うすうす気が付きはじめた。
「え、じゃあ何? 髪染めてカラコン?」
「そんなわけないじゃん。バカ」
「ひどいな、わっかんないだもん……教えてよ」
「……」
じゅるじゅるストローを吸いながら無視した。なんかムカムカしてきた。島とここだと、雰囲気がなんとなく違う。みんなチャラい。島のほうがやっぱり好き。
》》》
結局、祐くんは見つからなかった。ほんと、どこにいるの?
ホールはごった返していて、とても見つかる気はしなかったけれど、必死に探した。意味はなかった。
ぶらぶらと街へ出たけど、何も調べておかなかったから、行きたい場所もなくて、途方に暮れた。
もう、家に帰ろうかな……そう思った矢先、思い出したことがあった。
バイト。
仕送りのお金はギリギリ生活できるくらいで、遊び回れる余裕はなかった。祐くんと出かけるためにも、自分で稼ぐ必要がある。
「よし、探そう!」
神様、どうかわたしに幸運を。
わたしは大学近くのバイト先を求めて、心機一転、歩き出した。塞ぐ気持ちを、置いていくつもりで。
》》》
疲れた。
何人も男の子が話しかけてきて、相手をするのが思ったよりめんどくさかった。みんなの前で歌ったのも体力を使ったみたい。
「お手洗いいってくる」
「あぁ、どうぞ」
話してた男の子が笑って見送った。
部屋を出ると、急に静かになった。ふぅ、と息をついて、大して行きたくもないトイレに向かった。
そろそろ家に帰りたいな……思いながら通路を歩いて行くと、まーちゃんと男の子が店から静かに出ていくのが見えた。
(あれ……二人ともどこ行くの)
カラオケは満喫した気がしたし、ついていくことにした。
追いかけるのはわくわくした。なんだか探偵にでもなった気分。
ばれないように尾行していくと、二人は細い路地に入っていった。まーちゃんは男の子に引っ張られてる感じ。
(なんでそんなところに?)
不思議に思いつつも、好奇心に突き動かされた。
そのうちに、人がいなくなって、日の光が当たらなくなる。工事現場にありそうな荷物なんかがたくさんおいてある。
どきどきは不安に移り変わっていって、追いかけるのをやめようかと思った。
絶対おかしい。どこへ行くつもり?
考え始めたころ、二人は立ち止まった。ちょうど打ち捨ててあるほろが邪魔で、何をしているか見えない。でも飛び出したら二人にばれる。そんな距離だった。
「帰ろうかな……」
かすれるような小声でつぶやいた。でもここまで来て真相を突き止めないのは無駄骨だとも思った。
もう一つ、引き止めるものがあった。
遠くてほとんど聞こえないけど、微かに声がする。
「ぁあ……あ……」
聞きなれない声にびっくりした。
「やっぱり、こんなのだめだよ……」
(何をやってるの?)
何故か鳥肌が立った。
「やだ……やめてぇ」
この声……苦しそう? パン、パンって、何か叩きつけているみたいな音がしてる。
(なんかヤバイ気がする)
帰るんじゃなく逃げようと思った。でも、よく考えればまーちゃんがいじめられてるのに、置いてくのはあんまりだとも感じた。せっかく友達になったのに、見捨てるなんて、できない。
気が付けば、手に汗がにじんでいる。
どうしよう。
「ああっ! だめっ……あぁ……あぁ……」
そんな声が聞こえて、もう我慢できなくなった。
助けてあげたい。
心臓をバクバクさせながら、ほろの向こう側にこっそり体をだした。
見えてなかったものが見えた。
息をのんだ。まーちゃんがりょうた君の下で四つん這いになって、お腹掴まれて、お尻に……腰をたたきつけられていて。
え……?
「うわっ」
ちかづいたところで男の子が気づいて悲鳴を上げた。
体が硬直した。
「あ、彩ちゃん……?」
まーちゃんが制服を半分はだけておしり丸見えの情けない格好のままわたしを見ていた。目が飛び出しそうな感じだった。
目の前の状況をようやくわかって、顔がかあっとあつくなる。
「わ……わあああっ!」
今度こそ逃げた。
わたしだって、わかった。
最近知ったばかりだけど、これ……。
エッチしてるんだ。
え? どうしてこんなところでセックスしてるの? 赤ちゃん作るの? まだ〇学生なのに?
わかんないけど、見ちゃいけないものだってことはわかった。これはきっと、子供がしちゃいけないこと……だからこっそり、隠れてしてたんだと思う。
まーちゃんが、そんな悪い子だったなんて!
「……どうして?」
頭が熱くなってぐるぐるしておかしくなりそうだった。
周りがぼやけると思ったら、涙が出てきていた。いつの間にか泣いていた。ショックだった。
まーちゃんがいけないことしてるのも、それを見たわたしは、二度と仲良くなれそうにないことも、悲しくて、仕方がなかった。
居ても立ってもいられなかった。
》》》
演奏を聞いて、少し距離が縮まった気がする。駅まで送ってあげることになった。
段々と曇りだしていて、今にも泣き出しそうな空。なんとなく気分が萎えたのと、傘がないのとで、帰宅することに決めた。
とりあえず、今後連絡を取れるようにさっきメールアドレスを交換した。それだけじゃ足りないので訊いた。
「水無月さん、学部はどこなの?」
「文学部です」
「へえ。そもそも音大とかに入ればよかったんじゃ?」
「そんな、大したことないんです」
「謙遜しすぎじゃあない?」
「……やめてください」
「ごめん。何話してたんだっけ、そうそう文学部。じゃあ校舎は同じだね。俺は経済学部だから」
「そうなんですか」
「この街に慣れてない者同士、一緒に頑張ろうぜ。明日の朝、待ち合わせとかできる?」
「はい」
「じゃあ、校門前で」
「わかりました」
水無月は少しずつはっきり喋れるようになっている感じがする。俺と一緒にいることに、慣れてくれたのだろう。ちょっと嬉しい。
ちらっと表情を伺うが、目許がよく見えないせいでよくわからない。
「水無月さん、目、ぱっちりしてるよね」
「そう……ですか」
水無月が俺のほうに少し顔を傾けると、大きな瞳が見えた。出会った時と同じ、澄んだ瞳。
「勝手なこと言うけど、前髪切ってみれば? そのほうが綺麗かな、なんて」
水無月は何か考えを巡らせているのか、それともぼんやりしているのか、ただ髪の隙間から俺を見ていた。
「……まあ今日知り合った人にそんなこと言われても困るよね」
彼女は結局、何も言わずに目を離した。
本当に静かな女の子だ。
だがそれゆえに、彼女への興味は尽きなかった。
至近距離で出会った時、あの繊細な演奏を聞いた時……計り知れないほど大きな印象を、俺に与えていた。
俺の知っていた女の子のカテゴリーから全く外れた存在……水無月桐華をもっと知りたかった。
きっと、少しずつ仲良くなっていけば……彼女も心を開いてくれるはず。
そう思い、顔を上げた時、俺は見慣れた髪色の制服姿が横断歩道を渡っているのを見た。
鞄を抱えてとぼとぼ歩いているのは……彩? この駅にまで来て、何をやっているんだ。
「おーい、彩」
目があった。
とぼとぼと俺のところに歩いてくるのにそれほど時間はかからなかった。
「ゆうぅ……」
よく見ると、目が充血している。泣いていたのかもしれない。
「どうしたの」
「ううん……なんでもない」
そう言いつつも、へこんでいるのはわかりすぎるほどだった。
「なんだよ水くさいな」
「だって……」
彩が押し黙っていると、水無月が小さく訊ねた。
「あの……この子はどなたですか?」
「わっ!」
やっと水無月に気が付いたのか、彩が少し身を引いた。
「祐、あの人……何?」
「何って、今日知り合った同級生だよ。水無月桐華さん」
「……!」
彩がはっとした顔で俺を見た。
「祐も彼女作ったの?」
「はぁ!? いきなり何言ってんだよ……まだそんなんじゃなくて」
あっさりフられそうで、まだ告白する勇気はない。それなのに余計なことを言ってくれる。こわごわと水無月を見ると、不思議そうに俺たちのやりとりを見ている。
「ええと、こいつ俺の妹なんだ」
「妹さんですか……?」
「金髪碧眼だから誰も最初は信じてくれないんだけどね」
そこに彩が割り込んでくる。
「祐、ここだと、恋人作るのが普通なの?」
「だからなんでそうなるんだよ」
「うう……」
彩は何か言いたそうだが黙って、何故か不機嫌そうに水無月を見つめていた。
(つづく)
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19, 2017
アンステイブルラブガーデン(8)
すぐ隣の部屋に祐くんがいる。そう思うと、朝から張り切ってしまう。
気持ちよく目覚めたわたしは、一人で黙々と支度を済ませた。
鏡の前で髪を整え、笑顔を作ってみる。
「よしっ」
軋む玄関扉を開けると、眩い朝日。今日も祐くんとたくさんお喋りするぞ、とやる気が湧いてくる。
そういえば昨日は結局家に帰るまで会えなかった。けれど、その分嬉しいことがあったから気分は悪くない。言いそびれたから、報告しなきゃ。
インターホン越しに元気よく話しかけた。
「祐くん、おはよう!」
期待したのと違って、開いたドアから顔を出したのは彩ちゃんだった。昨日見た時も思ったけど、制服姿がとっても可愛い。
「祐はまだ着替え中」
そうぼそっと呟いて、わたしの横を通り過ぎて、地上十三階からの風景を眺め始める。
よくわからないけれど、どうやら機嫌が悪いみたい。
どうしようか考えていると、眼下に目を向けたまま、けだるそうに話しかけてきた。
「ねえ萌恵ちゃん。一つきいていい?」
「うん?」
「男のひとと付き合ったことある?」
どういう意図で言ってるんだろう?
「わたしはないよ」
「なんだ」
そっけなくそう言って、また下の風景を眺め始めた。
(どうしたんだろう……?)
空気が固まっていたところに、祐くんが現れた。
「お待たせ……行こうか」
「うん」
そうつまらなそうに言って、彩ちゃんはエレベーターに向かって歩き出す。
「ねえ……彩ちゃん、機嫌悪くない?」
祐くんに訊くと、
「うーん……そうなんだけど、理由がわかんないんだよね」
深刻そうな顔で首をかしげられた。
「昨日イヤなことがあったみたいなんだけど、教えてくれなくてさ」
「まあ、そっとしておいてあげたら」
「それしかないんだよなぁ」
二人でこそこそ話していると、彩ちゃんが横目でこっちをみて不機嫌そうに声を張り上げた。
「エレベーター来たよ!」
わたしはひやひやしながら彩ちゃんのもとへ小走りした。
学校への道すがらも、彩ちゃんはわたしたちの後ろで孤立して歩いていた。
時折振り返って見てみると、ぼんやりと虚空に視線を漂わせている。
(ニコニコしてたほうが可愛いのに……)
「今度こそ反抗期が始まったのかな?」
祐くんは悲しげに囁いてきた。彩ちゃんのことが余程気になるらしい……わたしのことももっと気にしてくれてもいいのに。昨日の置いてきぼりを思い出して心が痛くなる。
でも、そんなことで元気をなくしてどうする! 明るくないと可愛くない! と気分を切り替えて言葉を返す。
「どうなのかな……なんか違う気もするけど」
「じゃあなんなんだよ……俺はなにもしてないのに」
「んーわかんないよ」
「昨日は三人で晩飯食った後、いつも通りだったんだ。彩に一番風呂譲って、二人でテレビ見て、そしたらソファで眠りかけてたから歯磨きさせて部屋に連れてった。まあずっと何か考えている感じで、黙り込んでたんだけどね」
「うん」
「寝起きはいつも不機嫌そうにしてるんだけど、朝飯食ったあともその調子だからおかしいと思い出して。実は春木に来てから時々髪の毛結ってあげてるんだけど、今日は痛いとかずれてるとか文句ばっかりでさ。出るのが遅れた」
「彩ちゃんが髪触らせてくれてる時点で、祐くんに腹立ててるわけじゃないでしょ」
「ああ……そういえばそうだな。気付かなかった」
「やっぱり昨日学校で何かあったんだよ。放っておけばいつもの彩ちゃんに戻るよ」
「一時的だといいんだけどなあ」
祐くんはずっとぼやいていた。
そのまま中学校の前まで来てしまい、彩ちゃんは何も言わずに離れていった。
彩ちゃんがいなくなっていつもの雰囲気が戻ったので、言いたいことを思い出した。
「あっそうだ! 言い忘れてたんだけど、わたしね、バイト先見つかったの!」
「おお、良かったじゃん」
「大学の近くの喫茶店で、ウエイトレス。制服が可愛くて、気に入っちゃった」
「今度行くからまけてよ」
「それは……できるかな? でもわたし店長に気に入られてるみたいだしいけるかも」
いつものような楽しさが戻ってきて、話が盛り上がって来た頃大学の門が見えてきた。
「祐くんは何かサークル入るの?」
「そう、それ考えてるんだよなー。俺趣味とかないし、どこ入ったらいいかわかんないんだよね」
「スポーツいろいろできるじゃん。得意でしょ?」
「どの種目も全部中途半端なんだよなぁ」
「そんなことないよ。上手だって」
励ましたくて、笑いかけた。十分素敵だよって言いたかった。
「思ったんだけどさ、趣味ってさ、他人をあっと言わせられるくらい上手じゃないと、あんまり意味ないんだよね」
「そうかな。自分が楽しければいいじゃん」
「前までは俺もそう思ってたよ。でも俺、昨日凄い人にあってさ」
「へえ、だれだれ」
「実は校門で待ち合わせしてるんだけどね」
そう言って、祐くんはきょろきょろしだす。
そして、声を上げる。
「いた! よかった無視されなくて」
校門の脇に立っているのは、綺麗な女の子だった。
「おはよう。ちゃんと待ち合わせ、守ってくれたんだ」
「……はい」
お上品な丈の長いワンピースを着こなし、絹みたいに滑らかな漆黒の髪を丁寧にハーフアップに結い上げている。印象はお嬢様といった感じだ。
髪が長く目元をちょっと隠していて、若干暗く見えるけれど、他は文句の付けようのない美人だった。
祐くんはハキハキとその子と喋りだした。
(どうして……そんなに嬉しそうなの?)
ちょっと困惑した。
「祐くん……この方は?」
「昨日知り合ったんだ。水無月桐華さん。ピアノがすごく上手で。こっちは幼馴染の南條萌恵」
その女の子は、祐の声に合わせて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
見ている方が困ってしまうくらい、穏やかな礼だった。優雅な人だと思った。
「こ、こちらこそ」
そう言って流れで頭を下げながら、気分が沈んだ。いきなり親しそうに祐くんと話しているのがむしゃくしゃした。どこの誰だかわからないけれど、はた迷惑だと思ってしまう自分を、懺悔したくなった。
≫≫≫
教室に入るのが嫌だった。昨日帰った理由を聞かれるかもしれないし、何より真子と顔を合わせなくてはならない。
昨日のあれを見た後、心が落ち着かなくて、ずっとあのことばかり考えていた。
それでもやっぱり、意味わかんなかった。
「……」
ぶすっとした顔のまま、自分の机に直行して、鞄叩き付けて、突っ伏した。
それでも話しかけてくれる人がいて、驚いた。
「彩ちゃん、おはよう」
あかりちゃんの声だ。短く返した。
「おはよ。なに」
「え? なんでもないよ」
穏やかに言われて、なにそれ、と思って顔を上げるとあかりちゃんの細い目が正面にあった。
「綺麗な目……宝石みたい」
そう呟かれて、ほっと力が抜けた。またわたしを観察していたみたい。あかりちゃんはほんわかしていて、いい子だ。心を許せると思った。
「ありがと」
「うん」
そこにガラリと音がして、振り返った。
一瞬目が合ったけど、真子は顔を強張らせて目を離した。そして女の子の集団のなかに入っていった。
「彩ちゃん、お喋りしに行かないの」
「今日はだるいの」
わたしはそう言って頬杖をついた。
毎日真子と会うたびにピリピリしながら過ごさなきゃならないなんて、最悪。
≫≫≫
ようやく楽しみにしていた大学生活が始まった。
一年生はどの学部もまずは教養として英語など同じ教科を学ぶが、選択科目ももちろんある。萌恵は俺と全く同じ教科を選んだ。自分の意志がないなあと思ったが、新しい環境で知り合いがいるのも心強いから俺にとっては悪くない気もした。もしかしたら萌恵も一人でいるのは不安なのかもしれない。
水無月は学部が違うので受けられる講義の選択肢も違い、時々講義が重なるくらいだった。残念だがそれでも会いにいこうと思えばすぐ会えるので気は楽だった。
初日の講義はあっという間に終わり、早速ヒマになった。
水無月に会いに行こうと思った。どこかに連れ出して、仲良くなりたい。
だが、今隣には萌恵が座っている。置いていくのもなんだか可哀想だ。
どうしようか悩んだ。
「なあ萌恵、この後ヒマ?」
とりあえず訊くと、悔しそうに唸った。
「わたし……今日はさっそくバイトなの」
「ああ、なんだ。じゃあ頑張れよ」
「うん……お金たまったら、どこか一緒に遊びに行こうね」
「まじか! それってなんか申し訳ないなあ」
「全然平気だって。祐くんはこの後どうするの」
「水無月さんのところに行こうかと……」
「えっ! あの人のところにいくの?」
頷くと、萌恵はがたっと立ち上がった。
「なんで?」
顔をやたら近づけられた。
「ど、どうしたの……二人で遊びに行こうと思ったんだけど」
言うと、萌恵は俺の腕をつかんだ。
「やっぱり一緒に行く!」
「……バイトは?」
「一日くらいサボっても大丈夫だよ!」
「でも初日からそれはまずいんじゃ……」
「絶対大丈夫!」
萌恵にはやたら気迫があった。
「じゃ、じゃあ一緒に行こう」
「うん!」
萌恵と二人で水無月さんがいるはずの教室へ向かう。
廊下を歩きながら、萌恵が話を切り出した。
「ねえ、祐くん。その水無月って人、何なの?」
「何っていわれても」
昨日彩にもこんなことを言われた気がする。二人とも、俺がいきなり知り合いを作ったことが気にいらないらしい。
「ひょんなことでお互い同じ大学だってわかったから、なんとなく仲良くなったんだよ」
「ひょんなことって何なの?」
「それは……」
さすがにどう言おうか迷った。萌恵はやたら関心があるようで、俺をじっと見ている。
「どうでもよくない?」
「ちゃんと教えてよ!」
「逆になんで教えなくちゃならないんだよ」
「だって……」
「だって?」
「う、うるさい!」
萌恵は何故か赤くなっている。
なんだかんだ言いあいながら、たどり着いたのは文学部のホールだ。
「どこにいるかな……」
探すと、すぐに見つかった。一番後ろの席にいた。
「水無月さん!」
声をかけると、彼女はちょっとびっくりしたように俺を見た。
「祐くん……どうしたんですか」
「このあと遊びに行かない?」
「遊び……ですか?」
水無月はきょとんとしている。
「遊ぶって、具体的に何をするんですか」
「そんなの行き当たりばったりでいいんだよ。水無月さんも、まだこの街に詳しくないでしょ? 気の赴くままにフラフラするのって楽しくない?」
「……」
水無月は考え込んでいるのか、黙ってしまった。
すると、隣にいた萌恵も、水無月に笑いかけた。
「水無月さん、もしかして忙しい? それならわたしたち二人で行くけど」
「そんなことないですよ。とってもヒマです」
淡々と答えた。外見的にはお嬢様っぽくて多忙そうだったから、意外だった。
「じゃあ三人で適当に行こうぜ」
「わかりました」
水無月は小さくうなづいた。
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おすすめ作品紹介
20, 2017
アンステイブルラブガーデン(9)
春のぼんやりとした空の下、三人で肩を並べて歩いた。
「祐くん、どこか面白い場所あった?」
萌恵は俺の隣を歩きながら、期待した顔で言う。
「ちょっと待ってくれよ」
俺はスマートフォンで街のマップを操作していた。
「ないなら、この間の教会行かない?」
「教会? あそこって遊ぶ場所じゃないだろ」
「そうだけど、一回見に来ないの?」
「今日じゃなくていいや」
「そっか」
萌恵はちょっと不満そうだ。
「水無月さんはどこか行きたいところある?」
「わたしはどこでもいいです」
そう言う水無月も、隣からきょろきょろ俺の手元を覗いている。
「じゃあここなんてどうかな。すぐそこにあるよ」
「どれどれ?」
両側から覗き込まれて、それぞれ二人からほんのり香水っぽい匂いがした。すっきりした萌恵の匂いと、水無月の気品ある匂い。
画面には、現在地に加えて、そのすぐ近くに「バッティングセンター」が表示されている。
「バッティングセンター? そういえば島になかったよね」
「そうそう。俺、野球やったことないんだよね。ちょっと気になってさ」
「いいじゃん! 試しに行ってみようよ」
萌恵は乗り気なようだ。
「水無月さんはどう?」
尋ねると、水無月はちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「いいですね。久しぶりです」
「え? 水無月さんって普段からバッティングセンターとか行くの?」
「あ……違います。ええと、こどものころ以来ですから」
「なんだ」
おとなしくて、あんな綺麗にピアノを弾く彼女がバットを振る様子はちょっと想像が出来ない。
「でも昔はやってたんだ?」
訊くと、水無月は目を伏せた。
「意外ですか?」
「まあね……もしかして兄弟とかいるの? 俺の知ってる範囲では、スポーツ好きな女の子はそういう場合が多いんだけど」
水無月は虚を衝かれたような顔をした。そのまましばらく俺を見ていたが、結局こう言った。
「……秘密です」
「え? なんで教えてくれないの」
そういえば、この間も住所を秘密にされた。
「ご、ごめんなさい……」
頭を下げられた。なんだか申し訳ない気持ちにさせられた。
「なら……いいけど」
そうやって水無月と話し込んでいると、二人の間に萌恵が割って入ってきた。
「ねえ! 決まったなら早く行くよ!」
近づくにつれて、ネットが張られた空間が見えてきた。
楽しみになって、さっさと中に入った。まだ昼間なので、他に人はほとんどいない。
「よし」
ヘルメットをかぶり、金属バットを肩に担ぐ。
まずは俺が試しに打つことになった。
「頑張れ祐くん!」
萌恵が応援してくれているし、水無月もその隣にいて、じっと俺を見ていた。恥ずかしいところは見せたくない。
ボックスの中で、それっぽく構えてみた。テレビでよく見るように、バットを揺らしてみる。
そのうちマシンがガタガタ動き出し、俺はボールが飛び出す瞬間に意識を集中する。
バシュっと球が飛んできた。とりあえず好きなようにスイング。
「とう」
カン、と軽い音がした。
(お、打てたのか?)
だが、ボールは俺の後ろに飛んだ。
きゃっ、と萌恵が悲鳴を上げる。みると、変に方向を変えられた球が、ネット越しにいる萌恵のすぐ近くに転がっている。
「びっくりした!!」
萌恵は水無月の腕にしがみついていた。掴まれた方の水無月はそのせいでよろめいている。
(やっぱり萌恵は頼りないな)
やれやれと思って見ていると、水無月がそっと言った。
「次のボール、来ちゃいますよ」
見ると、またピッチングマシンが動き出している。
次はあててやる……そう意気込んで、気合いをいれた。
「とう」
今度も思い切り振ってみる。
ガン、と音がした。
だが手ごたえはない。
「ひゃあっ!」
また萌恵のところにボールが飛んでいる。今度は腰を抜かして倒れていた。
「大丈夫か?」
「祐くん、もしかしてわざと?」
「俺は今日初めてバット触ったんだよ? 狙えるわけないでしょ」
そこに珍しく水無月が口を開いた。
「祐くん……コツは、ボールから目を離さないで打つこと……らしいですよ」
「わかった。やってみる」
また、マシンのアームが持ち上がっていく。
(次こそは……)
「とうっ!」
冷静に、ボールを目で追ったまま、バットを振りぬく。
カキーン、と気持ちのいい音が響いた。
ボールはなかなかの勢いで空に吸い込まれていった。
「あ!! 祐くんすごーい!」
萌恵は自分のことのように喜んでいた。
コイン一枚分が終わるまでには、そのあともちょくちょくいい打球が飛んだ。
指定の球数が終わって二人のもとに戻ると、やたら褒められた。
「すごい上手だったね! だからわたし言ったでしょ? 祐くん運動神経いいって」
「本当ですね」
水無月も感心している様子だ。
「俺、なんでもそこそこは出来るんだよ。でもそれ以上伸びないんだよね」
「それは、祐くんがすぐ飽きて、練習しないうちに次のこと始めちゃうからでしょ。もっと続ければいいのに」
「つまんなくなっちゃうんだよね……それにしても俺のことよく知ってるなあ」
「だって中学からずっと一緒だもんね」
「確かに長い付き合いだ」
「二人とも、仲がいいんですね」
水無月が微笑みながら呟いた。
「まあね……島から出てくる物好きなんて俺たちくらいだし」
「うん……そうだよね」
萌恵はなんだか優しい表情で俺を見た。
しばらく目が合ったままだった。萌恵の瞳の中に俺の顔が映っていた。
「ん、顔になんかついてるかな」
言うと、
「……ううん、なんでもない」
ちょっと淋しそうな顔をされた。郷愁にでも襲われたのだろうか。
「そうだ。わたしも打ってきていい?」
「本気? あんなにビビッてたのに」
「平気だよ! もう慣れたんだから!」
ぷりぷり怒って、バッターボックスに入っていく。
バットが重たそうだし、構えも棒立ちだ。
心配ではあるが、面白いからほうっておいた。
「頑張れよ」
「うん!」
嬉しそうに声を張り上げている。
対して俺の隣の水無月はちょっと不安そうに萌恵を見ていた。
アームが持ち上がって……。
「えいっ!」
萌恵が大きくバランスを崩しながらバットを振った。勿論空振りだった。おまけに、変に勢いがついて一回転して、ヘルメットがころんと落ちた。
「あれ? 当たらないよ」
萌恵は素直に困った顔で俺を見た。
「打つ瞬間までボールから目をそらさないようにするんだよ」
「してるよ! 次は当てるんだから!」
そう言って、マシンに向き直る。
「水無月さん、他にもなにかアドバイスある?」
言うと、困った顔をした。
「わたしには、あれくらいしかわからないです……」
「萌恵は見こみなしってこと? 厳しいねえ」
「そ、そんなことないですよ! ほんとに知らなくて……!」
からかってやると、水無月は驚いたようで一生懸命言ってきた。歯がゆそうな、困った表情だ。
一応言っておいた。
「冗談に決まってるじゃん?」
「あ……すみません」
水無月は耳を赤くしていて、可愛いと思った。
「じゃあ、野球詳しいわけじゃないんだ?」
「はい……あれは、受け売りですから」
そうやって二人で話している間に萌恵のバッティングは終わっていたが、どうせ全部空振りだということはわかりきっていた。
「全然当たんないよ?」
当惑した様子で萌恵が戻ってきた。
「ボール見ろって」
「だって速すぎて見えないんだもん!」
「球速はたいしたことないんだけどね」
「そんなぁ……なんかすごいくやしい! 次はあててやるんだから!」
萌恵は手に持ったバットを振り回しながらぷりぷり怒っている。
「まあ初めてだから仕方ないんじゃ? それとさ、水無月さんも打ってみないの? きっと上手なんでしょ?」
水無月はまた困った顔をした。
「わたし……ほんとに経験がないので」
「いいじゃん、初バッティングしてみなよ」
「やってみたら、わたしの気持ちもわかるよ!」
「でも、遠慮しておきます。わたしは見てるのが一番楽しいんです……こどものころからずっと。それに、指を痛めるといけないので」
「ああ……そうか。ごめん」
もし慣れないバットを振ってピアノが弾けなくなったら申し訳ない。配慮できなかった自分を悔んだ。
「それにしてもくやしい! わたしあんなに振ったのに一回も当たんなかったんだよ?」
萌恵がまたうじうじ言い出した。
「このバット持って帰っていい?」
打席からもってきたバットをしげしげと眺めている。
「は? ダメでしょ。この店のものだし」
「家で練習するの!」
「やめとけよ向いてないから」
「そういうのがくやしいの! ねえ祐くん、また明日ここ来ようよ!」
「え? 俺はもう満足なんだけどな……」
「もう飽きちゃったの? いくら祐くんでも早すぎだよ!」
そもそもはまってないんだけどなあ、とは言わないでおいた。
「わかったよ。また今度な」
「うん。それまで練習するためにバットもらってくるね」
萌恵は受付の人に訴えに行った。水無月はその後ろ姿を不思議そうに見ていた。
「萌恵のこと、変なやつだなって思ってるでしょ」
「そ、そんなことないですってば!」
嫌な人だとは思われたくないようで、必死に主張してくる。
「萌恵は、しつこいんだよね。あきらめが悪いのかな? あんまり得をしないことでも文句言わずにずっとやってる感じ」
「それって……大変かもしれませんが、すごくいい人だと思います」
水無月は心から感心したような顔をしている。
「あとさ、あいつ聖書の暗誦とかできるんだぜ」
「すごい……クリスチャンなんですか」
「ああ。すげー真面目に信仰してるよ」
そこに元気のいい声が聞こえた。
「祐くん! バットかしてくれるって! やさしいおじちゃんでよかった!」
バットケースを持った萌恵が戻ってきて、俺に詰め寄った。
「明日二人でまた来ようね!」
萌恵がそう言った途端、ピロピロっと電子音が鳴り響いた。
萌恵のスマートフォンの音だ。
「誰だろ……まだ全然大学で友達いないのに」
萌恵は慌てふためいた様子で端末を操作した。
「あ、店長」
萌恵は慌ててスマホを耳に押し付けた。
「はい、南條です。ええと、ごめんなさい! でも……そのはずせない用事が……え! クビ!?」
萌恵は泣きそうな顔をした。
「でも……お願いします! 明日はちゃんと行きますから……え! そんな?」
「大変そうですね……バイトって」
水無月は気の毒そうに萌恵を見て呟いた。
「あんなの見てると働きたくなくなるよね」
二人でこそこそ喋っていると、萌恵が戻ってきた。顔から血の気が引いている。
「祐くん……もうやだ」
「けっきょくどうなった?」
「これから二週間遊べなくなっちゃった……毎日仕事しろって」
「なんだそれ。やめちゃえよ」
「祐くん! そういう考え方はダメだよ!」
萌恵に軽く睨まれた。
「だっておかしいだろそんなの」
「だけど……あのバイトやりたいのに。もうやだあ……」
萌恵はこの日、ずっと暗い顔をしていた。
(つづく)
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21, 2017
アンステイブルラブガーデン(10)
萌恵がバイトで忙しいので、水無月を何回もデートに誘った。
……といっても、デートと言うのは大仰かもしれない。ぶらぶら遊んでいるといったほうが妥当だろう。
「祐くん、じゃあね! 夜ご飯、待っててよ! 絶対だからね!」
萌恵が相変わらずバイトに行ってしまった後、水無月を迎えに行った。
彼女はいつも通り、他人と話すこともなく一人で椅子に座っていた。
そのつつましさ、淑やかさには憧れるが、楽しむためには無用なものだ。明るく話しかけた。
「水無月さん、ゲーセンでもいかない?」
島にもゲーセンくらいはあった。はしゃいで遊ぶにはいいところだと思う。
「あ、祐くん。ゲーセンですか? ……懐かしいですね」
「大きなところを、この間ぶらぶらしたときに見つけたんだ」
「でも、大学生にもなって、ゲーセンですか?」
水無月はちょっとおかしそうにふふっと笑っている。油断した笑顔を見せてくれるくらいの間柄にはなっていた。
「え? いいじゃないかよ。二人で対戦とかしたら楽しいでしょ?」
「そうかもしれませんね……準備できましたけど、行かないんですか?」
丁寧ながらも、手早く準備を整える彼女は、なんだかやたら可愛かった。
俺が他愛のないことを話し、水無月が微笑む。落ち着いているけど、確かに楽しい時間を過ごすうちに、ゲーセンについていた。
「……賑やかですね」
「ちょっとうるさいかな?」
「そんなことないです……こういうのもたまにはいいと思います」
「ごめんね。静かなほうが好きだよね?」
「いいえ……実は、こういう場所で思い切りはしゃぐのって、憧れてたんです。静かなところが好きっていうのは、ただの惰性で。ずっと、誰も相手がいなかった言い訳です」
俺のミスをフォローしてくれる優しさを感じて、やっぱりいい子だなと思った。
「そうか。じゃあとりあえず、協力できる感じのやつやろうぜ」
「懐かしいです……わあ」
彼女は見回しながら、珍しく無邪気な声をだした。
水無月は設備にふれるたびに、感動しているようだった。こういう場所で遊んだ経験がないのだろうか? 懐かしいを連呼しているあたり、子供時代以来といったところか。
「わあっ! これって……アツくなっちゃいますね」
意外なことに、水無月はけっこうのめりこんでいて、楽しそうにきゃあきゃあ言っている。新しい一面が見えた気がした。
「うまいね」
「あなただって……わっ!」
「なんかさあ、水無月さんのはしゃぐところが見れて嬉しいよ」
「だって……久しぶりに楽しくて!」
「よかった。もっとお堅い人だったらどうしようって思ってたんだ。水無月さんって、ちょっと雰囲気が大人だからさ」
「ごめんなさい……今日のわたし、みっともないでしょうか?」
「全然。そのくらいが普通だよ」
そのうちに、「WIN」の文字が画面に表示された。
「やった!」
そうわめく水無月は、興奮して頬が紅潮している。目が合って、照れ笑いを向けられた。
「やったね。次は対戦でもしてみる?」
「いいですね!」
水無月は不器用ながらも少しずつ感情を表に出し始めていた。
だが、
「秘密です」
その言葉は……何故か続いていた。
「今日は雨だし、俺の家に来ない?」
「あなたの……お家ですか?」
水無月はちょっと驚いた風にしている。
「ああ、生意気な妹もいるし、隣には萌恵もいるから、楽しいと思うよ」
「ああ、妹さん……え、萌恵さんって隣に住んでるんですか」
「そうだよ。でもあいつはバイトだった。最近なんか講義と家でしか顔を合わせないよ」
「かわいそうです。……じゃあわたしが萌恵さんの代わりに、お邪魔させてもらいますね」
傘を並べて、自宅に向かう。
インターホンで彩を呼ぶと、キャミソールにパーカーを羽織ったラフな姿で、飛び出すように出てきた。なぜかスプーンを咥えていた。
「お帰り……あれ、その人」
「ただいま。彼女はこの間の水無月桐華さんだよ、覚えてない?」
「なんで連れてきたの?」
「天気悪いからね」
彩は彼女をじっと見て黙っていたかと思うと、
「祐の彼女……なの?」
なんだか不満そうに言う。水無月がちょっと赤くなっている。
「そうかもな」
そう言えば、恋人になるにはいつかは気持ちを伝えないといけないことを忘れていた。でもそう気づいたところで勇気は出ないし、付き合うと宣言してしまうと、一気に関係が重たくなって、身動きが取れなくなる気がする……そんな気持ちも心の片隅にあった。
「まあとにかく入るよ。散らかしてない?」
「ないよ。こどもじゃないもん」
居間に行ってみると、テーブルの上にアイスのカップが転がっていた。
「おいおい、一人でこっそり食ってたのか? 俺の分は?」
「おこづかい増やしてくれたら買ってあげる」
つっぱねようと思っていたら、水無月がそっと言ってきた。
「彩ちゃん……お邪魔してますし、おこづかいあげましょうか」
彩がキラッと目を輝かせる。
「ほんと! お姉さん?」
「すこしだけですよ」
水無月は本気みたいなので止めておいた。
「やめとけよ……こいつ、水無月さんが家に来る度にせびるようになるよ。……あと、あげたところで、どうせ俺にもアイス買ってくれないしな」
「だってもらっちゃえば、もうわたしのお金だし」
彩はそんなことを偉そうに言った。
「とりあえずそのカップ片づけとけよ」
「ううー……めんどくさー」
言いつつ、ちゃんとゴミ箱に持って行った。
彩は最近、ようやく機嫌が戻ってきて、俺は一安心していた。だが結局どうして機嫌が悪かったのかはわからずじまいだ。またいつ不機嫌になるかわからない。
「ゆうー、わたしの部屋にもテレビ欲しい」
水無月を椅子に座らせていると、ソファに寝転がった彩がぼやいた。
「そんなお金ないって言ってるだろ」
「もしかして、生活に苦労してるんですか?」
水無月が心配そうに訊いてくる。
「してるよ!」
彩はらんらんと期待した目で水無月を見ている。
「あいつは嘘つきだから信じるなよ」
「……すみません」
「ねぇ、水無月さんって、もしかしてお金持ちなの?」
彩は一転して興味津々といった感じだ。
「見た目が良家のお嬢様だもん」
「そう……ですか?」
困った顔の水無月。
「お前な、そんなに金が欲しいか」
「そういうわけじゃないよ」
「じゃあなんだよ」
「うるさいなー」
彩がむっと頬を膨らませる。すると、水無月さんがふふと笑った。
「仲いいですよね」
「彩さえ機嫌よければね」
「それに……この家、生活感があっていいですね」
水無月は部屋干ししてある俺や彩の衣服を見ながら言った。
「ごめんな、こんなもん見せちゃって。そこまで思い至らなくて」
「そんなことないです。なんだか新鮮で」
新鮮? 水無月さんは独り暮らしはしてないんだろうなと思った。
「今度、水無月さんの家にも行ってみたいな」
「それは……ちょっと」
「ねえ、お姉さんの家、どこら辺にあるの?」
「……秘密ですってば」
表情にちょっと暗い影がさすのを、俺は見逃さなかった。
たくさんの時間を水無月と過ごしたが、結局教えてくれないことはいつまでも教えてくれなかった。秘密は主に、過去のことや家庭のことだ。余程シャイなのか、何か事情があるんだろうが、釈然としない。
そのせいか、心の距離はある程度のところで縮まらなくなっていた。
そのうちに桜はとうに散りきって、四月も中頃になっていた。
「くっそー……俺ってそんなに信用できないかな」
俺はその日、講義中にもそのことを考えていた。
「どうしたの?」
隣に座る萌恵はノートをとりながら訊いてくれた。
「水無月ってたまに、何考えてるかわかんないんだよね、「秘密」って」
萌恵はペンを動かす手を止めて、俺の顔を覗き込んだ。
「やっぱりさ、そんな本音がわからない子と人と付き合っちゃダメなんじゃないかな? もしかしたらとんでもない秘密なのかもしれないよ」
「それもそうだよなあ……あいつ、まだどこに住んでるかも教えてくれないんだ」
「それって変だよ。絶対ヘン」
やたら決めつけてくる。
「デリケートなだけだと思うんだけど……」
確かに萌恵の言う通り、何かわけがあるんだろうなとは思う。どうして教えてくれないんだ。あんなに仲良くなったのに。
「それより祐くん授業聞かなくていいの?」
「ちっ」
現実に引き戻された。
大学生は気ままに遊べる。そう聞かされていたから、完全にそう思い込んでいた。
だが数週過ごしてみて分かった。実際は、毎日宿題は出るし、一年生は勉強することも多く、暇な時間は少なかった。
「もう受験で十分勉強したんだけどなぁ」
「せめてノートとりなよ」
「萌恵が後で見せてくれると信じてる」
「もう……ちゃんと勉強しなきゃだめだからね? 頭いいのに、勿体ないよ」
萌恵はちょっと呆れた様子で息をついているが、結局優しくしてくれることはこれまでの付き合いでわかっている。
「萌恵はバイトに缶詰なのに偉いね」
「あともう少しで二週間たつから、辛抱だよ……」
あれから、平日は毎日働かされているそうだ。断ればいいのに、変にまじめすぎる。
「そのうち遊びに来てよね? なんだかんだ言ってまだ一回も来てくれてないじゃん」
「今日も水無月と出かけるから行けないや。ごめん」
「……っ」
萌恵のシャーペンの先がプツンと飛んでいった。
「もうノート見せてやんないんだから!」
だいぶ強い口調だった。確かに訪ねる約束を何回も破ったのは事実なので申し訳なくなった。
「ごめん」
「知らないっ」
ぷいと拗ねられてしまった。彩に続いて、萌恵までこうだと辛い。気が向いた時にバイト先を見に行ってやらないと。
本日最後の講義が終わってすぐ、水無月がいるはずの教室に向かった。
「祐くん、じゃあね。行ってくるね」
「じゃあ。頑張って」
萌恵はちょっと寂しげな顔で離れていった。心がチクリと痛んだが、家に帰れば会えると思い、踵を返した。
見に行くといつものように、水無月は一人で座っていた。近づくと、俺に気づいたようで、優しげに微笑んで会釈した。
「祐くん……今日はどこに行きますか?」
それを見て、気分がパッと明るくなった。
「どうしたい?」
「祐くんの好きなところでいいですよ?」
「今日はそれは無し」
「そう……なんですか?」
「水無月さんの考えも聞かせて欲しいんだよ」
水無月はしばらく考えるようにぼんやりしていた。
「それなら……初めて会った日に行ったお店、行きませんか」
すぐにあのピアノの演奏――「愛の夢」が脳裏に蘇った。
「あの店本当は夜が営業時間だから、開いてないかもしれないけど……まあいいか、水無月さんが行きたいなら行こう」
今日は彼女ともっと近づきたい。彼女の好みの場所のほうが、緊張はほぐれるだろう。
地下に潜っていくと、ばったりマスターのお爺さんに出くわした。
「また君たちか」
「入っていいですよね?」
「ふむ……好きにしなさい」
「ありがとうございます」
水無月が丁寧に頭を下げる。彼女はいつもこんな調子だ。
「というのも、君の演奏がもう一度聞きたくてね」
「そんな……大したことはないです」
そんな流れで、彼女は遠慮しながらも、結局はピアノの前に座ることになった。
暖かい昼下がり、粋な装飾の店の中で、一呼吸置いて鍵盤の上に指を走らせ始めた。
しっとりと、静かな旋律がそっと始まった。
綺麗で、鮮明な曲。
それなのに哀しく切ない雰囲気が、あっという間にその場を呑んだ。
「「亡き王女のためのパヴァーヌ」……」
マスターは例によって眉をよせて唸っている。
深く深く、引き込まれていくような。
心が落ち着いて、感傷的になってしまう。
いつのまにか物思いに耽っていると、演奏はあっという間に終わってしまった。
「凄いよ……水無月さん」
二人で喝采し、褒め称えると、水無月は困り顔をした。
「大したことないんです」
「いやいや凄いよ。どうしてそんな綺麗な音が出るの?」
「わたしは自分の中のイメージを表現しているだけで……」
「じゃあ、心の中が綺麗なんだね」
「そんなこと……ないです。わたし……こういう雰囲気の曲しか弾けなくて」
つまり、切ない感じの曲ということだろうか。
「でもこんなにうまく弾けるんだから、才能があるんだよ」
「練習すれば、誰でもできます」
「俺でも?」
「時間はかかりますけどね」
二人で話していると、マスターに肩を叩かれた。
「ふたりでごゆっくりどうぞ」
そう言い残して店の裏に消えた。気を使ってくれたらしい。
今こそ、彼女をもっと知る時だと思った。褒められて緩んでいる彼女の殻を、一息に剥がしてしまうのだ。
「練習すれば誰でもできるって言っても、練習するのが辛いでしょ。高校生の時とか、メチャクチャ練習したの?」
「……ずっと弾いてましたけど、言い換えればそれしかしてないんです」
「すごいなあ。俺なんか高校時代はずっと遊んでたよ」
「そうなんですか?」
「それにしても、水無月さんの高校時代の制服姿とか、見てみたいなあ……なんだか水無月さん大人っぽいから、子供時代を全然想像できないんだよね」
「制服……」
水無月はぼんやりとしている。
「まあ嫌ならまた今度でいいけどさ。そうだ、ピアノって、何部でやるの? 俺はテニス部でテニスしないで遊んでたんだけど」
「……それは」
水無月の顔から、少しずつ微笑みが消えていく。
いつもそうだった。彼女は過去のことや個人的なことを訊くと、すぐに黙ってしまう。
「あの……これも訊いちゃいけないのかな」
「……」
「どうして水無月さんはちょっと踏み込んだことを訊くと黙っちゃうの? 水無月さんのこと、知りたいだけなんだ。理由があるなら教えてくれよ」
「……それは、その」
水無月の目が泳ぐ。
「どうしても、秘密なの?」
「す……すみません」
そのまま俯いてしまう。
彼女に謝られると、どうも責める気がなくなる。だが――今日はちょっと無理してみようと思った。いつか越えなくてはならない壁だと思う。
「なにか……俺に大きなことでも隠してるのかな」
「ち、違います!」
彼女はぎゅっと膝のうえで拳を握りしめている。
「本当に?」
「わたし……教えたくないです」
その声は震えていた。
「何か理由があるの? 俺、ほんとはこんなこと言いたくないんだけど……それってずるくない? 俺、何回も一緒に出かけたけど、水無月さんのことあんまり知らないよ……仲良くなった気がしない」
「……そんな」
水無月は少しショックを受けた感じだった。言いすぎたことに気付いた。
「ごめんね、言い方が悪かったかな。忘れて」
「……」
静けさが場を支配する。
やっぱり何も考えずに仲良くしていたほうがましみたいだ。
余計なことを詮索するのはよそう。
そう思って、何か面白い話題はないかと考え始めた時だった。
水無月が細い声を絞り出した。
「秘密なのは……怖かったからです」
「へ?」
水無月の声は、小刻みにふるえている。
「あなたが離れて行くのが……怖かったから」
「どういうこと?」
「わたし……これまで、いろいろあって……変な人だと思われるのが怖くて……」
「……」
水無月にいつもつきまとう、何か暗いものが、今にも吹き出しそうなのがわかった。
(聞かない方がいい)
一瞬でそうわかった。そう思わせる切実さがあった。
「これからも絶対にわたしを見捨てないで、仲良くしてくれると言うのなら……秘密にするのはやめます」
悲しげな目つきで言った。
「今なら、あなたになら、打ち明けられる……約束して、くれますか?」
聞きたくない、でも聞いてあげたい。どうしようか、と迷いが生じた。
聞いたら水無月を理解できても、受け止められるかはわからない。まだその時ではない気がした。もう少し仲良くなってから、話を聞こう。
「やっぱりやめておくよ」
言うと、水無月は淋しそうな顔をした。
時計の針の音がやけに大きく響いている。水無月は、絞り出すように言った。
「聞いて……くれないんですか?」
また暗くなってゆく表情を見て、罪悪感が湧いた。
「ごめん……もっと覚悟が決まってからにするよ」
「……やっぱり、わたしのこと、変だと思いましたか?」
「そんなことないよ」
「嘘……ついてないですか」
「そんなことないって」
それっきり、会話が途絶えた。雰囲気が暗くわだかまっていて、何も話すことが思いつかない。
早くマスターが帰ってこないか、そんなことばかり頭に浮かんだ。
その時、ぽた、ぽたと雫が落ちる音がした。
「やっぱり、わたしの話なんかどうでもいい……ですよね」
彼女の大きな目から涙が流れ落ちていた。
「そういうわけじゃ」
「わたしだって……このことは誰にも言わない方が……いいと思うんです。きっと……迷惑がかかります。でも……初めて、打ち明けられるかと思って、嬉しかったのに……」
涙がそっと頬を伝う。
「うう……ひくっ」
涙にぬれそぼって、まつ毛がキラキラしている。いつも淑やかにしている彼女が感情をあらわにして、涙をこらえようと必死に震えていた。
どうしようもない美しさがあった。いつのまにか見惚れていた。
そうしてしまうくらい、頭が真っ白で、後悔に埋め尽くされていた。選択を間違えたようだった。もっともっと慎重になるべきだった。
「なんか……ごめん」
それしか言えなかった。誤っているとしても、俺の選択には根拠があった。彼女の話そうとしていることは、あまりにも重く、暗い気がした。ここで聞いても、うまくいかない気がした。
「すみません……今日はもう、帰ります」
彼女は荷物を持って店を出ていった。引き留める言葉が思いつかなかった。
(つづく)
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