「ついに島を出ちゃったな……旅行して以来だから、何年ぶりだろう?」
俺が興奮気味に言うも、返答はない。
「風きもちいい……」
俺の言葉を無視して、彩は手すりから身を乗り出している。目をつぶり、金に輝く髪をはためかせながら。
「なぁ、萌恵は島から出るの始めてなんだよね? 嬉しくなってくるよね?」
「……へ?」
萌恵のほうは足がもたないのかへたりこんでいた。何故か自分の右手をいとおしむように見つめ、撫でながら。
「痛かったか……ごめん、ちょっと調子に乗ったよ」
「えっ……あ、そうそう、痛くて……もうビックリしたんだからね!」
「悪かった……つい、熱くなっちゃって」
「祐らしいね」
彩が目をつぶったまま言った。
「たまに、わたしよりも全然こどもみたいになる」
「こども? そんなことないだろう」
だが萌恵も彩にのっかった。
「確かにね……これでこそ祐くんって感じだよ」
萌恵はどこか嬉しそうに笑顔を見せた。どういうことか問い詰めたかったが、どうやらふたりとも許してくれたようなので、文句はぐっとこらえた。これからの生活は長いのだから、余計な喧嘩をしないように。
静かな、しかし温かい場が続いた。
しばらくして、彩がやっと青い瞳を俺に向けて言った。
「祐、汗かいた……タオル」
》》》
階段を下りて、船内に入った。誰もいなかった。乗客はわたしたち三人だけ。
「ほら、いくぞ」
「わっ」
祐が投げたタオルをなんとか受け取り、顔をこしこしと拭く。スッキリした……汗は嫌い。本当はシャワー浴びたいけど、駄々をこねるのもみっともないから我慢我慢。
船には当然、座席があった。本当は四つくらい使って寝転がりたかったけど、みっともないからおとなしく座った。
「あーあ」
ふと呟きが漏れた。パパとママと、もうちょっとちゃんとお別れしたかった。後悔するほど不満なわけじゃないけど。
「あー疲れたー」
萌恵ちゃんも隣にドサッとお尻を落とした。
「ちょっと借りていい?」
萌恵ちゃんはわたしからタオルを受け取って、首筋をふいた。
「なんだかふたりともテンション低いなぁ? 今日はまだまだ動くよ」
わたしの隣に座りながら祐が明るく言う。
「あんなに走ったの久しぶりだもん」
「彩もそろそろ体力つけたらいいじゃないか」
「イヤ」
むっとして言った。
「祐もわたしと同じカラダだったらわかるのに」
「……悪い、テキトーなこと言っちゃったね」
祐は頭を掻いて、素直に謝ってくれた。それなら許してあげるけど。
「ううん、いいの」
わたしは背もたれによっかかった。
何もない海が、ひたすら続いている。巡島から離れて、遠くに行く……その実感がようやく湧いて、なんとも言えない気持ちになる。
眺めているうちに、景色はぼんやりとして、曖昧になってゆく。
ふわふわと浮かんでくる思い出があった。
わたしは泣いていた。
一人ぼっちだった。知らない場所だった。寒くて手足が痺れてきていた。段々辺りが暗くなってきていて、空は真っ赤だった。すごく怖かった。このまま一人で、誰も助けてくれない気がして、うずくまってひたすら静かに泣いていた。
どん、どんと大きな音が響いていて。
何があったのかは覚えてない……わたしはたぶんまだ小さかったんだと思う。
このままわたしはきっと……もうダメだ……そんな風にぼんやり思って、ぐったりしだした時だったと思う。
さくさくと草むらを歩いてくる人影がいた。
祐だった。胸の中で何かが弾けて、泣きじゃくった。
「あや……?」
飛び付いたわたしを祐は抱き締めてくれた。……強く、もう離れないくらい。祐の体が、ひどく温かかった。
「怖かったね……」
その言葉が心に残っていた。そう、本当に怖かった……。
「もう大丈夫だから」
祐の腕の中で、その言葉を聞いた。ほっとするのと同時に、胸がくすぐられる感じがした。震えていた心が、幸せでいっぱいになっていくのを感じた。
「彩ちゃん?」
びくっ、と体が震えた。
ぼーっとしていたみたい。最近昼間に眠くなることがよくある。ママは体が成長してるからだって言ってた。
「寝てたの?」
「寝てないよ」
「嘘だぁ、絶対寝てただろ」
「寝てないってば」
二人ともにやにやしてるのが気にくわない。また海のほうを向いて黙りこんだ。
「昔の祐くんみたいだね」
「え? 俺こんなんだったか」
「そっくりだよ。見た目は似てなくてもこういうところは兄妹なんだね」
二人とも、楽しそうに話してる。
なんだか仲間はずれにされてる気分。わたしも二人と同年代だったらよかったのに。なんで六歳も離れてるんだろう。
「おい、彩……すねるなよ。その様子、俺に似てるらしいぞ」
「……知らないよ」
別に眠たいのはわたしのせいじゃないのに……ポーチを抱いて、海を睨み続けた。今度ははっきりとした郷愁が湧いた。
なんとなく、バカバカしくなった……祐についていくために、島の友達とみんな別れて、パパやママともさよならして……。ポーチをきつく抱き締めた。中のアクセサリーの小包みが、軋む音がした。
そうだ、ママが作ってくれたお弁当でも食べよっと。少しだけ慰められる気がするから。
》》》
みんなで昼御飯を食べ終わった頃には、船が止まっていた。港についたのだ。
「二時間ぶりの地面だね」
「そだね」
彩ちゃんは素っ気なく返した。元々無口なほうだけれど、今はプリプリ怒っているみたいだ。お年頃だから、きっと繊細なんだろうなぁと思う。三人きりだったから、退屈だったのかもしれない。
巡島への船は一日二本。観光客の人々は基本、朝の便に乗り、夜の便で帰ってくる。わたしたちはその朝の便で本州に戻ってきたので、今日は同乗者はちょうど一人もいなかったわけだ。
「やっと着いたぞ、春木に!」
彩ちゃんとは対称的に、やたらとテンションが高い祐くん。相変わらず、熱意というかやる気というか、凄いなぁと思う。
初めてあった時からそうだった。何か目標を見つけると、一生懸命取り組むけど、すぐに他のものに目移りして……思い出すだけで微笑ましくなった。きっとそういうところが危なっかしくて、助けてあげなきゃって思って……いつの間にか好きで仕方なくなっていたんだと思う。
「おい萌恵、ちゃんとついてきてよ」
少しぼんやりしていたところを、現実に引き戻された。今は祐くんにお世話になりっぱなしだ。
高層ビルが、遠くに見えていた。というか、大きすぎて嫌でも目にはいった。
「さっさと街に出てみようぜ」
「ちょっと待ってよ!」
「はやく来いよ」
ずんずん歩いていく祐くんに、慌ててついていく。彩ちゃんも身の丈に合わない大きなトランクをひきずって、なんとかついてきている。
コンクリートで固められた坂を登りきった先で、視界が開けた。
目を見張った。
「すごい……」
つい、口に出してしまった。あまりにも想像を越えていたせいで。
足元から、柱《ビル》が天を支えていた。島にはこんな建物はなかった。一番上までいったら、どんなに高いんだろう……考えると体がざわめいた。
「……わぁ」
遅れてきた彩ちゃんも口をぽかーんと開けている。
「な、驚いただろ? 俺たちは今日からここで生活するんだよ」
わたしも萌恵ちゃんも、呆然として何も言わなかった。
「楽しみだよね。早く行こうぜ」
「ちょっと! どこいくの」
「ああ、そうだった」
祐くんがやっと止まってくれて、わたしに向き直った。
「先に行きたいところ、あるんだろ」
「えっ? もしかして……」
祐くんの笑顔を見ながら、わたしの胸は期待に躍った。
「凄い! 本当に大きい!」
それが見えた瞬間、衝動的に大声を出していた。
トランクを泊まるマンションに預けた後、わたしたちはそこへ向かった。港から徒歩で十分くらいのあたり、港湾地区と都市部との境界に、それは建っていた。
カテドラル大聖堂。
巡聖堂とは形も大きさも、荘厳さも桁違いだった。まさに神の社といった具合だ。
わたしたちはそれを真下から見上げた。
大きな十字架が立つ本館の両脇に、槍のような館が並んでいる。
「ねぇ、入ろうよ祐くん」
「うーん、俺はちょっと」
「わたしも行かない」
兄妹はすっかりわたしを見送る気なのか、立ち止まっていた。
「えーっ行きたいの、わたし一人?」
「萌恵ちゃんばいばい」
彩ちゃんなんか既に手をヒラヒラ振っている。祐くんもすぐにでも背を向けそうだ。
「本当に敬虔だなぁ……俺たちは買い物済ませてくるから、楽しんできてね」
「楽しむっていうか……行きたくならないの? 二人とも、こどものときに洗礼は受けたんでしょ?」
「わたし覚えてないや」
「俺はなんとなく覚えてるぞ。頭に水かけられてくしゃみしちゃって」
「覚えてるとか覚えてないとかじゃないの! わたしたちは主のもとにファミリーに……」
二人ともキョトンとしていて、話すのがバカバカしくなってやめた。祐くんと別行動するのは勿体無いけど、ここに入りたいし、仕方ない。
「もう……わかった。じゃあどこかで待ち合わせしないと」
「うーん、それなら泊まるマンションの前で、午後五時でいいか」
「その後はすぐ家に直行ってこと? そんなに時間かかるかな?」
「萌恵ならかかる気が……あと萌恵も買い物するにしても、俺らと買うもの違うだろうし。分かりやすくマンションの前でいいじゃないか」
「うん……そうしようね。じゃあね、二人とも」
別れの挨拶を交わして、一人になった。
少し寂しいけれど、それを打ち消すくらいにはワクワクしていた。
わたしは分厚い扉を開いた。
中はオレンジ色の光で満たされていた。油彩画が飾られて、落ち着く感じで、好印象だった。オレンジ色のの光源は蝋燭で、色々な所でキラキラと小さな光を灯している。
それが照らす壁をよく見ると、複雑なレリーフが彫り込まれていた。感激して、ここに通いつめようと思った。きっとこの教会、お金があるんだろうなぁ、すごいなぁ。そんなことを考えながら古時計を見る。
時刻は十二時を回ったところ。ちょうど礼拝は終わって、信徒たちは出ていった後のようだった。受け付けには誰もいなかった。
かえって胸がときめいた。この巨大な空間を独り占めできる。
玄関を出て、丁寧にカーペットの敷かれた床を歩く。またもや立派で豪華な扉があり、そこが礼拝堂だと確信した。
ギギギっと耳障りな音を立てて、それは開いた。
またもや、目を見張った。
初めての広さだった。巡聖堂の四倍、それとも五倍? とにかく圧倒されるほどの空間だった。
ペンデンティブの天井には、わたしを押し潰すように、巨大な、質量あるシャンデリアが煌々と佇んでいた。少しやり過ぎな気がした。
それ以外、物の配置は巡聖堂と変わらなかった。長椅子が綺麗に二列並んでいて……あれ?
椅子の背もたれ越しに、二つの頭が見えた。髪型からして、女の人と男の人……。
眺めていると、ちょうど出ていくつもりだったらしく、立ち上がりこちらに向かって歩いてきた。わたしは目が釘付けになった。
あごひげを蓄えた、高そうな服を着た紳士っぽいおじさんに――ではない。その横にいる女性……その人が、あまりに綺麗だったせいで。
大人の美しさ、といった感じだった。ウェーブしたサイドテールが前に流れている。胸の開けた白いYシャツ、赤いシャープな眼鏡、タイトな紫のスカート……かっこいいくせに、出るところは出た最高のスタイルで、妖艶ささえ漂っていた。胸がわたしなんかよりずっと大きくてすごいと思った。
「あら、こんにちは! もう礼拝は終わったわよ」
サラッとした、聞きやすい声だった。人懐っこそうな笑顔で、わたしと話したがっているようだった。
「こ、こんにちは」
オーラに呑まれて、上手く声が出なかった。でもわたしのか細い声を聞いて、その女性は愛想よく微笑んだ。
「この聖堂に来るのは、初めてかしら?」
「は、はい」
「緊張する必要、ないのよ。|基督《キリスト》は救いを求めるなら、誰でも受け入れてくれるわ」
そんな言葉が出てくることに、わたしの体はビビっと反応した。この人はしっかりとした教徒に違いない。島ではそういう人は希少だったので、喜びが込み上げる。
「あの! わたし、南條萌恵って言います。沖合いの巡島ってとこから来て、誰も知り合いがいなくて……信者のお友達が欲しくて」
紳士っぽい人はわたしがまくし立てるのを驚いて見ていたけれど、女の人は子犬でも可愛がるように優しく笑みを浮かべていた。
「だから、今度一緒にこの聖堂に来ませんか!」
「もちろんよ! いつでもここにいるから、会いに来てちょうだいね」
いつでも……? 疑問が浮かぶけれど、訊ねる前にその夫婦みたいな二人はわたしの横を通りすぎていった。
「私は|桃楼美佳《とうろうみか》。また今度、会おうね」
扉がギギギと音を立てて閉まった。
しばらく立ち尽くしていた。綺麗なくせに、なんだか凄く人が良さそうな人だった。いい友達になれたらいいなと思った。
(つづく)
「グラビアアイドルが義姉になった! 妹・陽菜編」を最初から読む
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